出る杭
2024.02.20
人には個性がある。
それは端から見た時の外面的な特徴であると共に、また自分が自分であることを信じられるための内面的な宗教でもある。
人として生きるためには、どちらも大切にしなければならないものだ。
まぁただ正直に言って、外面的な特徴というのは社会で生きていくためには無くてもいいのだろう。
特に巨大組織の中で動く人間は、スポーツとしての集団行動のように一糸乱れず同じ事をすることが求められる。
工業製品の1つ1つに個性があっても困る話だ。
ただ肌が黒いという理由で虐げられた歴史が物語るように、社会は基本的に調和を好む。
できる限り周りと同じであることが求められる。
しかし、だからと言って個性が不要な訳ではない。
個性は自分が自分であることを信じ続けるための核でもある。
「お前の代わりはいくらでもいる」とでも言うように働かされ続けるのは、到底耐えられる事ではない。
誰から肯定されることも無くただ言われた通りに学校に通い続けるだけの生活なんて、気が狂いそうになるだろう。
だから有名漫画作品をあえて読まなかったり、大金を注いでブランドの服を身に着ける人がいるのだ。
アイデンティティや承認欲求などという言葉でまとめてしまえばそれまでだが、やはり誰しもなにがしかの形で個性的であろうとするのだ。
大きな集団は個性を求めない一方で、その中にいる1人1人は常に個性的であろうとする。
会社で淡々と働いて帰ってきたサラリーマンが、ゲームの世界でスナイパーとして活躍する。
親に強要される学校に飽き飽きした小学生が、ゲームセンターに入り浸る。
面白味の無い田舎町に通う高校生が、夢のために東京へ出るための資金を細々と貯める。
人間は誰しもが、そのせめぎあいの中にいるのではないだろうか。
かくいう僕も、まさに今そのせめぎあいの中にいる。
まあせめぎ合いとか言うとかっこいいが、実際は変な生活の仕方をしてる僕に上司が目を付けたという話だ。
だがそれでも、それが僕にとっての個性であったのだから、やはり下らない話では無かったのかもしれない。
最初は「規則なんてクソくらいだ」くらいのテンション感で書き散らそうと思った今回の日記だが、書いている内に変にまじめな気持ちになってきてしまった。
長々とは書いたが、結局これは「お前が能力不足だからだ」という一言で論破されてしまう話ではある。
周りに認められない個性を振り回して「これが俺だぁぁ!!」と狂喜乱舞してる姿を想像すると、自分でも自分が恥ずかしくなってくる。
だからまじめに考えるなら、いかに自分の内なる凶器を回りが受け入れる形で見せるかという話になるのだろう。
僕のエンタメ界隈の知り合いに、「コンプラとかマジでどうでもいい」という強気な事を言っている人がいるが、彼はそれを持ち前の論理的なトークの中に平然と紛れ込ませてくるので、誰も彼のことをヤバい奴だとは思わない。
その能力が、まさに僕に必要とされているものだと心の底から今感じている。
頑張るぞ。