コミュニケーションは戦争だ
2022.08.29
あなたは、コミュニケーションを頑張っているだろうか?
家族とのコミュニケーション、仲が良い友達とのコミュニケーション、近所の人とのコミュニケーション、仕事でのコミュニケーション、飲み会でのコミュニケーション、知らない人と2人きりになった時のコミュニケーション、知らない人に囲まれた時のコミュニケーション、etc....。
世の中には色々なコミュニケーションの場があるが、どんな場所でも共通していることがある。
それは、「自分が居心地が良くなるよう最善の力を尽くす」ことである。
誰しも、気まずい空間や険悪な空気は嫌いだ。そういう雰囲気は、「お前はこの場所に必要ない」と言われているようなもので、行ってしまえば「死」と同義なのだ。人は死を回避するためには、当然全力を尽くす。苦手な人はできるだけ黙って守りに徹し、多少喋れる人は話を繋いで攻める。
コミュニケーションは、戦争の場なのだ。
平和な日常に唯一存在する戦火なのだ。
というわけで今日は、どうやったらこの戦に勝てるのかってことを考えようと思う。
僕だってちゃんと人間だから、コミュニケーションはうまくなりたい。
つい最近、見知らぬ人とたくさん話す機会があったから、そこでのことを振り返りながら自分のコミュニケーションのあり方やこれからどうするべきかまで話を広げてみよう。
まず考えるべきは、そもそも「コミュニケーションって何?」って話だろうか。
Oxford Languagesという辞書によると、『気持ち・意見などを、言葉などを通じて相手に伝えること。通じ合い』とある。一番これをよく表すのはやはり「会話」なのだろうが、「など」がついている以上、相手に何かか伝われば、それはどんな形でも(身振り手振りでも、もの経由でも、仕草でも)コミュニケーションになるようだ。
では、コミュニケーションのゴール地点は?
どうなれば、僕は勝ったことになるのだろうか。
僕の場合、「お前凄くいいな」と相手に感じてもらうことだ。
なぜなら、それこそ「自分はここにいていい」という存在意義を証明してくれることになるからだ。承認欲求という言い方もあるが、それをあえて使わないのは、「承認」という言葉ではカバーできていない時がよくあるからだ。具体的には、「お前は唯一無二だ」という感覚。承認欲求を満たすためにはこの言葉が結構大切だと思っていて、それをより良く表すのが「存在意義」という言葉になる。
話を戻そう。
僕のコミュニケーションのゴールは、相手が自分に対して「存在意義」を与えてくれることだ。相手にとって自分が価値ある存在となった瞬間に、僕のコミュニケーションは成功したと言っていい。「私の人生にこいつは不可欠だ」が完全勝利となる。
こう考えていくと、あることに気付く。
コミュニケーションのゴールは、決して「会話が楽しい」ということではないのだ。例えば面倒くさい仕事をやってくれるとか、好きなプレゼントをくれるとか、人脈として大切にしたいとか、そういう感情からでも「お前凄くいいな」という感情は生まれてくる。それら全てを含めてのコミュニケーションだということを、意識しておかなければならない。
その上で、会話をいかに進めていくかがコミュニケーションにおいてはやはり大きな価値を持つ。
さて、ではどうすれば「お前凄くいいな」と思ってくれるかという話だが。
いや、そんなの分からないよ……。
あまりにも目標が大きすぎて、具体的な話にしづらい。
だからここでは、自分が今まで会った中で「こいつ凄くいいな」と思った人を取り出してきて、その人から学ぶこととしよう。
まず1人。彼は結構おじいさんだが、アニメ監督という僕にとっても憧れにあたるポジションを持っている。演出という教科書的な答えが共有されていない世界でも、いつも説得力のある説明を返してくる凄腕の人間だ。さらに、会話も気持ちがいい。自分の話をせず物腰柔らかでありつつ、いじり含めたブラックジョークも心得ている。そして何より、よく笑う。好々爺という言葉が命をもって歩いているようなものだ。
次の1人。彼は大学生で、飲み会での盛り上げ上手と呼ばれるような立ち位置の人間だ。とにかくツッコミが異常にうまい。それも相手を立てる形のツッコミが十八番で、「そのボケはお前にしかできんわ!」とでも言われているような気持ちよさがある。そして何より、こいつも良く笑う。というか、もう会話してる時ずっと口角が上がりっぱなしだ。
最後の1人。彼は大学の部活のOBにあたる人で、今はプロの漫画家としてまぁまぁ活躍されている。彼とはインタビューという形で話をしたのだが、とにかく話が芸人ばりに面白い。自分の過去の話をする時でも、「えっ! ちょっ……」と感情移入のあるリアクションをしながら、凄く楽しそうに話をするのだ。話の内容もバカらしくて面白いのはもちろんだが、「頭いいなぁ」と思うような話もかなり多かった。それもあっての「凄くいいな」という感情だったのだろう。そしてこの人も、めちゃくちゃよく笑う。話してる間ずっと楽しそう。
さて、いくつか共通点が見えてきた。
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・凄いと思う技能がある(論理的・説得的・自分の目指す技能)
・自分の話をしすぎない
・よく笑う
ーーーーーーーーーー
こんな具合だろうか。
面白いのは「凄いと思う技能がある」という所だ。
下2つが重要なのは、正直言わずもがなである。しかし会話の面白さに直接関係してこない技能がコミュニケーションにおいて大切だというのは、今まで考えたことがなかった。実際は、そういうポジションみたいなものが「そんなに凄い人と話せるという凄さ」みたいなものを引き出しているのだと思う。
この発見が何を意味しているかというと。
コミュニケーションに勝つには、日々の鍛錬が欠かせぬということだ。
今、自分の夢に向かって頑張ることが、将来のコミュニケーションで相手に「気持ち良い」と思ってもらえる可能性を広げるのだ。
それからやはり大切なのは「相手が話したい事を好きなだけ話せる」という空気だろう。誰にでも、「したい話」というのが存在する。往々にしてそれは「私こんなことやったんだ、凄いでしょ」かもしくは「私こんなこと考えてるんだ、凄いでしょ」のどちらかになるわけだが、それを好きなだけ話してもいい空気があれば、その人は永遠に気持ちよくなってくれる。
これは2段階の難しさがあって、まずは「何が話したい事なのか」を見極めることの難しさと、それを話してる時のリアクションの難しさである。
例えば昨日、その場にいた女性達のネイルの話になった時、うち1人の若い女性が「これ地爪なんだよね」という発言をした。その時の僕は無意識に「え、それ地爪なんですか!?」と反応。これはベストな反応だ。なぜなら、彼女はおそらくネイルとそして爪の話がしたかったからだ。ここで求められるのは、シンプルに興味を示すことなのだ。実際に彼女はそれを見てほしそうに、こっちに近づいてきて「ほら、これ地爪」と自分の爪の裏側を見せてきた。
そしてあろうことが、僕がここで取ったリアクションが、「へー、爪ってこんな凹んでるんですね」。
「……」
彼女はそのまま当たり障りのない言葉を残して、また元の席に戻っていった。
これが「相手が話したいことを好きなだけ話せる」ために必要な、2段階の難しさである。ここでのベストアンサーはどう考えても「え、本当に地爪ですね!! すげー、ネイルのためにここまでやってんの初めて見ました!」である。そして、「ネイルするために、ここまで頑張って伸ばしたってことですか!?」である。後から振り返ると、これしかあり得ない。
だが僕が発したのは「爪の裏側って、こんな凹んでるんですね」である。
なんて失礼なんだ。
これがさっき言った。「ツッコミにボケを挟む」という奴である。相手がツッコミを待っている時に、自分がボケてしまうのだ。相手は「本当に地爪だ!!」というツッコミを待っていたのに、僕はそれにかぶせるように「爪の凹み関係ないでしょ!」というツッコミを待ってしまったのである。
君、もうちょっとツッコミ上手くなろうね……。
ということで、話がぐちゃぐちゃになっている気がするが、たぶん今の僕に足りない所は、まず会話という土俵以外でもちゃんと勝負すること、他の人がシンプルに凄いと思う技能と、それからシンプルなツッコミである。
前2つについては言わずもがな。
シンプルなツッコミというのは、要は普通のツッコミだ。
僕の得意技はツッコミに紛したボケ返し。「いや、仕事大変なんだよ」と言われたら「ホント凄いですよ。スーパーニートの僕には何も言い返せないですわ」と返すし、「前、レコード買ったんだよね」と言われたら「あ! あのDJがシャカシャカやってるあれ?」とか返す。常に、笑いにつなげようとする執念とウザさが、そこには鎮座ましましている。
相手がうまく突っ込んでくれると盛り上がるものの、相手がしたい話を遮っているのだとしたらこんな得意技はゴミ同然だ。
という感じで、今日のところは結論。
今度いつか会ったら、出会い頭にでも「あ! そういえば前言ってたその地爪、やっぱ凄いですね!」ってちゃんと言っておこう。
なんでやねん!!!💯