褒められたいからやってんの?
2022.06.18
モチベーションの源泉は褒められである。
僕は、自分がアニメを作る動機を諦観と共にそう捉えている。
「これをやれば褒めてくれる」
そんな期待感こそがモチベーションになるのだと思っている。
しかし、それだけなのだろうか。
今日は、僕の通う演出家養成塾の懇親会があり、新しく入ってくる生徒さん達と他愛もなく語り合った。
「好きなゲームは~」とか「今仕事でやってるアニメは~」とか、別に内容は本当に大したことない。別に競争心を直接刺激するような内容でもなければ、自分に期待のまなざしが集まったわけでもない(他人からの期待がモチベーションになるというのは、経験的に知っている)。
それなのに。
僕はもう懇親会で先生方が話している最中にも関わらず、アニメを作りたい欲求がえらいこっちゃになっていたのだ。
うーん、これを「褒められたい」という欲求だけで説明できるものだろうか。
雑談に紛れて「前の奴めちゃくちゃ良かったよー」とかいう感想をもらったりもしたので、もしやそれが引き金になってモチベーションを作っているのかもしれないとも思ったが、そんなこともないように思われるのだ。例えば過去にも、留学した直後のオリエンテーションの最中に、英語勉強したいモチベーションが上がって他の日本人留学生と一切口を効かず外国人に話しかけまくっていた。大学入学直後も、遊び惚けるのは時間の無駄と言わんばかりに友達から距離を取り、一人で本を読んだり絵を描いたりしていた気がする。
これは一体どういう……。
……。
……ん?
いや、悩んでおいてあれなのだが。
これって僕がひねくれオタクってだけの話では……?
おいおい。
早くも、最適解が叩き出された予感がする。
「自分が天邪鬼だから」という解釈の仕方をすると、割と納得のいく所が多いのだ。正直、僕の過去の選択のほとんどはこの一言ですべて表せると言っても過言ではない。過言ではないは言い過ぎじゃない? と思うかもしれないが、過言ではないという表現も過言ではないのである。
例えば、僕がアニメ業界を目指した理由はこれである。うちの大学からは誰もいかないような会社を選ぶことで「あれ、もしかして僕だけ? 僕だけですか? みんなそっち側なんだーふーん (´ε` )」と鼻の下を伸ばしていたりする。日本一周をしたのもこれである。アニメ監督になるためという目的もありつつ、「え、大学がリモートになったんだから日本一周できるじゃん。え? みんなしてないの? ふーん」という妄想をおかずに毎日生きていたのだ(もちろんこれは過去の自分を振り返るとこの理論が一番しっくりくる、というだけの観察結果でしかないが)。
でも天邪鬼「だから」、人の中にさらされるとモチベーションが上がるというのも分かりにくい。
おそらくもっと最適な単語は、「目立ちたがり屋」という奴だろう。
目立ちたがり屋なら、アニメの業界人との会合があった後に「よし、面白いアニメ作って目立ってやる!」と思うのは理にかなっている。目立ちたがり屋というのは、人の中に放り込まれるだけで、「俺が俺が」と動き出す単純な生き物だ。それならば、自分がこの懇親会の後にモチベーションが高まった理由も説明できる。
もちろんこれは、最初に話した「褒められたい」という承認欲求とも直接的なつながりがある。目立ちたいと言っても悪目立ちしたい訳ではないから、要は「目立ちたい=誰よりも自分が褒められたい」という動機とほぼ同じわけだ。そう考えると、褒められたいという欲求がメインになりつつも、競争心というまた別のモチベーションも入ってくるのだろうか。
いや、違う。競争心などという言葉を持ち出すまでもない。
僕が求めているのは、最高の「褒められ」なのだ。
褒めるという行為は、人格の肯定である。ではこの場合の「人格」とは何かというと、周りとの差なのである。人格、独立した個人としての人間性、言い換えれば人間個体としての唯一無二性となる。承認欲求と言っても「ちゃんと自転車乗れてるねー」とか「しっかり心臓動いててすごーい」とか、そんな誰でもできるような事を挙げて承認されても仕方がないわけである。本当に認めてほしいのは、自分の唯一無二性なのだ。他の人は絶対に代替できない、オンリーワンの自分なのだ。
だから、自分が褒められたとしても、他の人も同じ理由で褒められていたら納得がいかないだろうなぁと思う。自分と似たような役回りのキャラに対して同族嫌悪を感じてしまうのもそういうことなのだろう。それが、自分の唯一無二性を排除してしまうように感じるからだ。
ということで、僕のモチベーションの源泉は、やっぱり「褒められたい」という事に尽きるんだろうなぁという結論にまたなってしまった。
うーん、本当にこれでいいのか……。
そんな理由は、動機として何だか不純な感じがするのはやっぱり否めない。自分の好きな作品を作りたいとか、そういう欲求が自分の中に洪水のようにあふれていてほしかったという思いは凄くある。本当にあこがれのアニメ監督がいて、本当に大好きなアニメ作品があって、それを子供のように必死に作りたいといつも思う。
でも僕は、そこまでの強い信念がないことを知っている。
それを変えることは、おそらくできない。
その代わりに、人なら当たり前に持っている承認欲求が少し高めに設定されている。
だから僕は、それを理解しながら自分が一番幸せになれる方法を探していく必要がある。そのためには、「褒められることができる」環境をうまく作ってあげることが大切なのだ。そのための1つの方法が、今回の懇親会のように集団で集まるという行為になるのだろう。
褒められたいからやってんの? って。
そうやって自問自答で自分を理解していくことで、
僕はもっと強くなれるはずだ。