ストーリーボードアーティスト
2024.06.14
営業の仕事をしている最中、先輩と色んなアニメーターについて話をしていて、
ふと僕の知り合いの新米演出家の話になった。
「いっ…、1コ上!?」
その人は僕の憧れのような存在で、自分1人で完成度の高いビデオコンテ(というかもはや1つの映像作品)が作れる人だった。それもシナリオから絵、効果音、そしてセリフ当てまでやってしまうというマルチな人である。
とある塾で一緒に通っていた同期ではあったものの、その多才さと豊富な知識、落ち着いた風格から、僕はその人のことを勝手に30代くらいのベテランの人だと思い込んでいた。
だから先輩が特定したその年齢を聞いて、僕は愕然としてしまった。
年上とは言え、僕とほぼ同じ年齢だったのだ。
驚きと同時にまず劣等感が襲い掛かり、さらにその後にある1つの感情がそこからふつふつと湧く。
「かっけぇ…」
翌日、その人のポートフォリオを見ながら僕はうなり声をあげていた。
短編アニメーション企画と称して作られたそのビデオコンテは、驚くほどクオリティが高かった。
「主人公は一体なぜ…?」というフック、過去と現在を行き来しながら明かされていく人間関係と主人公の真実、そして解決。
短い映像で、それも自分で声当てまでやっている作品でここまで人を魅せることができるのかと驚愕した。
それでも彼は「まだまだです」と言うのだから、頭が上がらないというものである。
【ストーリーボードアーティスト】と、言うらしい。
アニメ業界に入ってからというものの、僕はずっと将来に悩んでいた。
演出家を目指しているという答えを求められているのは分かっていたし、実際アニメの模写ばかりしていた僕はそう映っていただろうと思う。
ただそれでも「演出家になりたい」とはっきり口に出した事は無かった。
制作進行として一番近い距離から演出家を見てきた僕にとって、演出というポジションはコントロールできる範囲が狭すぎるように感じたからだ。
素材として成り立っているか等の確認がそもそも5割、そしてコンテに沿った芝居の修正に4割、残りの1割でストーリーに無い+αを入れる。適当でプロの方には怒られるかもしれないが、僕からするとこんなイメージだ。
しかしものづくりがしたい人にとっては、最後の1割の「+α」に全てが詰まっている。
そここそが作品の中で自分を出す唯一の場所だからだ。
端的に言えば、演出という立場は「自分」が無いように思うことが多かったのである。
演出という職業を貶めようという訳ではない。
本来の定義通りの演出であれば、没入感を出すためにここは主人公の主観で行こうとか、脚本だとフックが弱いから殺戮シーンを最初に持ってこようとか自分なりのプランを色々と考えられるはずなのだ。
ただ今のアニメの現場の演出というは、知らない人が描いたコンテを元に自分を殺した最低限の修正に徹することが多い。
スケジュールの窮屈さや作画マンの質の低下、CG等の素材の複雑化も相まって、そもそも映像として成り立つものを作るだけで精一杯なのである。
あくまでクレジット上の演出という「ポジション」の話であって監督になれば話は違うのだろうが、それでもおそらく似たような問題は一生付きまとってくるような気がする。
そんな事情があり、絵よりもストーリーに興味があるというのもあり、僕はいまだに「演出家になりたい」という言葉を口に出せずにいるという訳だ。
そんな将来の見えない時に見た、知り合いの新米演出家のポートフォリオ。
ストーリーもゼロから、コンテもゼロから、音もゼロから、自分100%で作るそのビデオコンテに僕は惹かれた。
それを生業にする職業を「ストーリーボードアーティスト」というらしい。
コンテマンとはまた違うもので、日本ではそもそも認知が薄い。
アニメ業界にいる以上、その若干異質な存在を目指し続けるのは苦労するような気がする。
しかし寝ても覚めないこの小さな高揚感を信じるのであれば、ちゃんと向き合ってそれを目指すべきなのだろう。
ストーリーボードアーティストとして、自分というものを発揮してみたい。
そしてほかの人には作れない自分だけの作品を作ってみたい。
ただ一時の夢にすがっているだけなのかもしれないが、それはそれで良いだろう。
目標ができたのだから一気にアクセルを踏み込んでしまえ。
たぶんそっちのほうが今よりも面白い。
夢物語で終わらぬように、今日明日の2日間で環境だけは一旦整えて逃げ場を失くしたいと思う。
すぐに楽な生き方に流れる僕だ。自分を信用しすぎてはいけんぞ。
まずは彼に連絡をしなければ。