自分らしさを作っていこう

2024.01.08

年が明けた。

この1年色んな事があったが、やっと仕事にも慣れて僕も深く将来のことを考えるようになった。

とは言え、僕は相も変わらず優柔不断と言うか遠慮がちというか、中々自分のやりたいことを明言できずにいる。

最近の飲みの席でも、先輩に「お前は芯がブレブレだからな」と言われてしまった。

それに対して否定も肯定も返せない。


芯なんてあるものかと、度々思う。

生まれてこの方、大きなトラウマや不幸を背負わずにのうのうと幸せに生きてきた。

アニメすら大して見ずにゲームやYouTubeばかりに夢中になって凡夫のごとく時間を無駄にしてきた。

「お前はどんなアニメが作りたいんだ」とか「結局何がしたいんだ」とか言われても、「そんなものは無い」と答える以外に正直な答えは見つからない。

志とは容易に移り変わるものだ。

アニメを見て「すげぇ! 俺が作りたいのはコレだったんだ!」と目をキラキラさせていた翌日には、ほしいゲームがいつ発売するかばかりを考えていたりする。

まるでお為ごかしのようなターニングポイント紛いのものに何度も裏切られた今、信じられるのは「何をすれば自分がどう感じるか」という因果のみだ。

どういう環境なら自分は幸せになれるのか、そんな達観したような事ばかりを最近は考える。


夢の無い話に思えるかもしれないが、そんな事はない。

パッションという物を心の底から既に信用できなくなった自分としては、むしろこのやり方こそが自分の夢を叶えるための唯一の武器になる。

何がやりたいかではなく何をすれば自分が喜ぶのかを考える。

やりたいからやるのではなく、やりたくないものを排除して生活を豊かにしていく。

心の表面にたった1つ自分以外のレイヤーを作ることでこそ、僕は胸を張って走ることができるのだ。

それが「夢」という大きな目的地へのレールの上であることを自覚しないからこそ、挫折を恐れず淡々と歩みを進めることができるのだ。

芯が無いことを不安がる必要など無いのだ。


とは言え、「夢」という意味での芯は必要ないかもしれないが、「自分らしさ」という意味での芯は必ず必要だと思っている。

それが僕がこれまでの経験で見つけた、自分の中を流れる因果律の一つだからだ。

やりたいことが分からない僕の唯一の行動原理。

「他の人がやっている事はやりたくない」

馬鹿らしい。天邪鬼で子供のような考えに見えて、その根は深く深く心の奥底へと伸びていて、「自分らしさ」という芯へと繋がっているのだと思う。

それだけは絶対に失ってはならないものだ。

誰に何と言われようとも、これだけは丹精込めて大切に育てていかなければならない。

だから少し猶予のできた今の生活の中で、突拍子過ぎない、しかし自分しかやらないような事を少しずつ積み上げていこうではないか。

そしてそれを、目に見えるような形でちょっとずつ残していくのだ。

自分の中で育て挙げた自分らしさを少し外に開放して、また軌道修正して育てる。それを繰り替えしていけば、自分も他人も信じられる自分を創り上げていくことができるのだと思う。

まぁつまり、今やっていることをちゃんと続けていけばいいという事に落ち着くのだろうか。

焦ることは無い。

自分のペースで少しずつ、自分らしくあっていこうではないか。