よく頑張ったね

2022.08.08

やっとアニメが完成した!!!

原作を10回以上描き直し、更なる推敲の上に作られた漫画原作。それをもとにした絵コンテ。そして原画、動画、声優さんの演技に効果音と音楽。そしてそれら全てをまとめあげるコンポジット。

全てが終わったのだ。

やっと、報われる。

よく頑張った。

達成感に包まれた気持ちで、僕は家族への簡単な試写会を催す。テレビの大画面で見ても、おかしい所は無い。自分のやりたいことは、何となくうまくいっているだろう。締め切りに追われて泣いたあの時間も、今この瞬間のためにあったのだ。

6分程度の作品が終わった。

そして家族は開口一番、こう言うのである。

「よく頑張ったね」


それはそれは絶望した。

悔しさがにじみ出る幕も無い。ただただ、辛いのだ。なぜなら、その言葉は自分のこれまでの頑張りを一瞬で無に帰すものだったからだ。

まぁテキストだけだどよく分からないだろうが、要は面白くなかった訳である。

だから、彼らができる精一杯が「よく頑張ったね」という労いの言葉しかなかったという事だ。「すごいね、一体何枚描いたの?」「音楽も自分でつけたんでしょ?」という言葉が重なるにつれて、その言葉の纏うポジティブな雰囲気と裏腹に、僕の中では惨めな気持ちが倍増していった。

違う。

違うんだ。

僕の求めていた言葉はそれじゃない。

ただ一言、面白いと言ってほしかったんだ。

それだけだ。

だって、僕はそれが「面白いから」作ったんだもの。

面白いから、何百時間もの時間と大量のお金を費やした。

面白いからこそ、毎日淡々と線を引いた。

……でもさぁ。

面白いことを否定されてしまうと、その全てが間違ってたんだなぁって。

そんなことを思ってしまうわけですよ。


はい、ダウナーなのはここまでにして。

ここからは反省のお時間です。今、面白くないものを作ってしまったという罪への多大なる誠意を持って、五体投地をしながら粛々とこの文章を書いております🛏。うん、親にお金を借りてまでやってんだから、面白くない物を作ったという罪をちゃんと自覚しないと。作品と人格を一緒にしていつまでも落ち込んでるなよ。

面白くなかった理由はとりあえず3つあったと思う。

1つは、「この作品って結局何?」っていうのがハッキリしてなかったこと。そのせいで、どうでもいい所でテンションを上げたり尺を取ってしまい、原作の面白い所を自分から殺していったと思っている。ここが間違いなく一番の敗因である。ここが徹底されていれば、最低限見れるものにはなったはずだ。

2つ目は、キャラクター主導の物語とプロット主導の物語を切り分けられなかったこと。実は今回、絵を描いている途中で突如後の展開を変えている(30カットくらい増やした)んだけど、それが特に物語をぶっ壊すことになってしまった。具体的に述べると、最初はギャグでぽんぽん展開が進んできそのまま終わる予定だったものを、最後少しドラマチックに変えた。その結果どうなったかと言うと、感情が滲み出る場面で観客は「え、なんでそんな感動してんの? は?」と鼻くそをほじることになってしまったのだ。これは、本当に恥ずかしかった……。

プロットから入ったならプロットで終わりなさい。もしキャラクターの物語を使いたいなら、ちゃんとその物語の「はじめ・なか・おわり」の構成をちゃんとやりなさい!(今回はキャラクターの「はじめ・なか」部分の感情の掘り下げが足らな過ぎて、「え? 今このキャラってそういう感情だったの?」という状態が発生してしまっていた)。

3つ目は、説明が少なすぎたこと。ここは本当に僕も不思議だった箇所だ。自分では「絶対に伝わる」と思っていたギャグに対して、兄弟以外の家族が皆キョトンとしていたのだ。それも面白い面白くないという次元の話ではなく「なんでそうなるの?」という混乱や違和感があったという事なのだ。これに対しては兄弟が「その感想はおかしすぎる」と必死に説明してくれていたが、僕にとっては本当に興味深かった。彼らは「世代だから」という落としどころをつけて議論を終えていたが、どう考えたってそれが一番の理由ではないことは僕が一番分かっている。なぜなら日常会話的にこのギャグが入ってきた場面を想像すれば、年齢関係なく面白いと思ってもらえる自信があったからだ(爆笑ではないが)。

色々考えてたどり着いた答えが、「説明足りなかったんじゃない?」である。例えばキャラの説明が足りなかった。例えばシチュエーションの説明が足らなかった、そしてキャラの感情を全く示せていなかった。大ヒットした鬼滅の刃でよく聞く感想ランキングの筆頭に「感情をなんでも説明する」というものがある。それは正直美しさには欠けるが、話を誰もが理解できるようになるという点でやはり良い点でもあるのだ。裏を返せえば、説明が十分に出来ていないものは、「うん? どういうこと?」と観客を惑わし作品の評価を下げてしまうことにつながり得るということになる。

「ツッコミ」というのも説明の1種である。ボケに対して「そのボケの何が面白かったか」というのを説明してあげるのがツッコミの役割だ。笑いというのは、その説明によってはじめて生み出される。ちゃんと言葉にして説明してくれないと、人間は驚くほど鈍感だということなんだろう。

説明だからと言って、冗長なつまらないものだと思ってはいけない。

「何が面白いのか」を説明してあげる、いや切り取って浮き彫りにしてあげるという行為は、おそらくかなり大切なんだろうと思った。


はい、振り返り終わり。いやぁ、なんと生産的な時間だっただろうか。

……。

…………。

……さて。

もう泣いてもいいですか…?

いい? じゃあ泣きますよ。

ふえぇぇぇぇぇぇぇ(´;ω;`)。

……いや、時間を置いて冷静に分析はしたものの本当は、くず折れてしばらく立ち直れなかった。

だって何百時間もの肉体的疲労と精神的ストレスと人格の一部を全て詰め込んだたった6分の映像。それを否定されたんだもの(正確には否定ではないのだが、創作者にとっては面白く「は」無いと面白くないは動議だと思うので)。その間に、Twitterの4コマ漫画の作者は毎日、僕の作ったこのアニメ以上に面白いものを平気で作って、何十万いいねをかっさらっていくのである。それはまるで、1年間の受験勉強が一夜漬けの天才の存在によって全て無駄になってしまう恐怖と等しい。

「他人が1日でできる作業を、数か月間必死に練習を積み重ねながらチャレンジしたが、結果的に失敗しなんの成果も得られない」

それがどれほどの絶望を生み出すのか分かるだろうか。

もう自分は作品を作るのそもそも向いていないんじゃないかって。

眠れぬ夜にそういうことばっかり頭に思い浮かぶのだ。

お前が今走っているこの道は、そもそも間違っているんじゃないかって。


なんてさぁ。

は?

バカバカしいな。

そんな訳があるか。

違う。それは間違っている。

俺はクリエイターだ。

面白くないと言われたのなら、また面白いものを作ればいいだけだろう。たった1つの作品に、自らの将来を全て預けるなんて頭が悪いにもほどがある。お前は、中学1年生の頃の知識で進学高校を決定するとでも言うつもりなのか?

そんな訳がない。

間違っているのだ。

俺はクリエイターだ。

プロの編集さんにも「漫画原作とか描けるようになると思いますよ」と褒められた。演出に関しても、プロのアニメ監督から「初めてにしてはちょっと上手すぎる」とべた褒めされた。僕にはちゃんとセンスがあるし、それを最強にするための努力や分析力、他人の意見を聞き入れる客観性、モチベーションをコントロールする精神力も備えている。

推敲の果てに、必ず面白いものが作れる。

今回の失敗によって、自分の欠点もよくわかった。今回の失敗は自分の価値を低めるものではない。自分を前進させるための一歩だ。

この大きな絶望は、他の奴らを出し抜く大きな経験値なのだ。

僕はまた1つ、強くなったのだ。

舐めるなよ。