ヤりたいこと

2022.06.15

自分のやりたいことなんて何もないんだろうなぁ。

そんなことを最近考える。


就活で聞かれた時は何度も答えたものだ。僕は御社でアニメが作りたいです、自分の作品が作りたいです、監督になりたいです。

たとえおこがましくとも、そこに偽りは無い。

頭のおかしい人を両脇に抱えて不健康な生活をしながらアニメを作りたいし、それとは別で自分の好きな作品を作りたいし、アニメ監督になって幼馴染に肘でつつかれたい。

でもですね、結局ボーッとしてる時間もたくさんあるんだよね。

YouTubeとか見てダラダラしてる時もあるし、ゲームしてる時もあるし、何も考えずに自家発電に勤しんでる時もある。

それが普通なのかもしれない。ストレスがたまってくれば癒しを求めるのが人間の性だろう。今やりたいことと将来的にやりたいことというのは、全然違うものだ。

でも僕は知っている。

本当にやりたいことがある時は、人間かなり変人になるものだ。

ゲームやってる時とか、絵描いてる時とか、自分の好きな本を読んでる時とか。時計にもスマホにも目もくれない。他人とのコミュニケーションも億劫。もはや食事の時間すらもったいない。本当にやりたいことがある時の人間というのは、そういうものだ。

それがほしい。

僕は本当に、それがほしいのだ。


しかし、誰かから「あなたが本当にやりたいことって何?」と聞かれるたびにやりたいことを捏造する自分を見ていて、やっぱり自分が本当にやりたいことなんて無いんだろうなぁと思うようになった。「あんな人になりたい!」「こんだけお金がほしい!」「みすぼらしい過去を乗り越えたい!」そんな心からの願いは、僕の中に見つからないような気がする。

ゲームは確かにやりたいが、少し大人になった今ではやって後悔することも多くなった。ゲームなどの娯楽が、自分の本当にやりたいことではない。

だからと言って、アニメ監督になるのが本当にやりたいことなのかというと、それも違う。尊敬している監督はたくさんいるが、それでも「こうなりたい!」と心の底からの言葉は自分の中に見つからない。

うーん、なんと空っぽな……。

もし僕が地球上の最後の一人になった場合、YouTubeのアーカイブを見つつ、過去の名作ゲームをやりつつ、時々おしゃれに小説を読みつつ、コンビニに残ったカロリーメイトでも食べながら惰性をむさぼるのだろう。信じたくはないが、自分はそういう人間なのだと思う。親よ、もっと生きる推進力になるトラウマとかあっても良かったじゃないかとか、そんな事を思ってしまうくらいには自分は何も無い人間なんだと思う。

畜生。

悔しいよぉ。


ということで、僕が何かをやる推進力は承認欲求という言葉にまとめられてしまうんだろうなぁと今はもう開き直っている。

とは言っても、名声だけにがめついという事は別に無い。

そりゃ名声もほしいが、尊敬する人に褒められたいとか、一緒に住んでるシェアメイトを喜ばせたいとか、ライバルに勝って認めてもらいたいとか、そういうのでも全然嬉しい。偉そうなことを言うようだが、名声なんて集めれば集めるほど幸せになるものではないということを経験上何となく知っているから、承認欲求にまみれたクズだとしても別に「有名になりたい!!」とはあんまり思っていなかったりする。…………本当かよ( 一一)。


でもやっぱり、やりたいことは無くても、

「誰かにヨシヨシしてほしい!」という犬みたいな欲求はあって、そのためなら何だってやってやるとも思ってる。チンチンだっていくらでもやったる。

だから、本当にやりたいことが無くても、そのための努力はしたい。

やりたいことに全力投球してるクレイジーガイズと並走したい。

それが例え打算的で気持ち悪いと言われようと、……まぁ、人間って結局そういうもんだしなぁということで。

ある程度うまい飯を食って洗濯済みのユニクロの服を着て安全な場所に住んで少しのセックスをして、そして誰かに褒めてもらえる生活があれば、それでおなか一杯になるのだ。自分が本当にやりたいことがあっても、これらが満たされていない人間は生きることはできない。そういうもんだ。


だから別に、やりたいことなんて無くてもいいよなぁと( 一一)。

褒めてほしいだけなんです、わんわん。

僕、犬になります。